なんともやりきれなさだけが残る判決だった。

23日、大手の道路建設会社の元営業所長だった岩崎洋さん(当時43歳)が自殺したのは、上司からの度重なる叱責やノルマ達成の強要などが原因として、妻らが慰謝料などを求めた裁判の結果は…
「上司の叱責は、社会ではあたりまえのこと。会社には責任はない」―。

亡くなった岩崎さんは、わたしの夫の高校時代のクラスメートだった。
野球部の主将を務め、クラスでも信頼厚く、明るい人気者。
岩崎さんの自殺の一報を聞いた時には、だれもが耳を疑ったという。
いつも前向きで、みんなを引っ張っていったあいつが自殺するなんてありえないと。
夫もしきりに言っていた。
「あいつが自殺するのなら、世の中の人間はみんな自殺するくらい、余程のことがあったにちがいない」
「家庭になんの悩みもないとしたら、会社での悩み以外にないだろ」

こういった裁判のほとんどは、企業は、自分たちに過失はないと主張する。
組織を守るために、これまで組織に尽くしてきた人の過失ばかりをあげつらい、人格すら否定するような主張を繰り広げてゆく。

「会社に対して、どんなに尽くしたところで、オレたちはしょせん、いつ切り捨ててもいいコマだからさ」
そんなつぶやきが、きょうもどこかの居酒屋で、いく千となく吐かれている。

ここ10年、年間の自殺者が三万人を超えている。
多くが、仕事での悩みが引き金となっているといわれる。

そんな異常な社会であるという現実を、「司法」はわかっているのだろうか。
六法全書と、過去の判例の文字だけしかみつめていない裁判官には、はたして「パワハラ」というものがどんなものなのか、肌で感じ取ることができるのか?

たぶん、日本中の労働者に、無力感だけを残しただろうこの判決。

会社のためにも、家族のためにも、頑張って頑張って頑張りつくした岩崎さんの、人としての尊厳を取り戻せないような社会であるかぎり、自殺者は、絶対に減らない。

そういう意味では、まもなく刑事事件で導入される裁判員制度は、わたしたちの「人としての感覚」を、法廷に取り戻すいい機会ではないかと少し期待している。

※この判決は控訴審(2審)であるが、1審では、自殺の原因は会社にも問題があるとされた判決だった。働く者にとって、1審から大きく後退した判決となっている。