朝、履いて出かけた靴と違うものを履いて帰っていたので、
誰かのを借りたの?と思ったら、幼稚園で作ったものだそうです。
プラスチックでできたようなダンボールと、
荷造り用ヒモで作った、ぞうり。これで道路を歩いて、痛くないのか?
目下のお気に入りのようで。

☆☆☆☆☆


光源氏になってはいけない 助川幸逸郎 プレジデント社 1470円

光源氏というと、フェロモン全開、狙った女は必ず落とすプレーボーイ、というイメージですよね。
わたしも、文字なんてほとんど読まなかったおばかな高校時代、
マンガ「あさきゆめみし」で、源氏物語の危険な恋愛ストーリーに心震わせたものです。

この本では、そんな光源氏を、
「大人になりたくないマザコン男」であるとか、
「自分と対等以下の女しか愛せないヤツ」だとか、
「中年になってもイタいやつ」など、
現代でもあちこちにいそうな「だめんず」さながら、見事な人物分析をしています。

光源氏が、その輝くような華やかさを印象付けたくだりに、「花宴巻」の、
右大臣邸で開かれた藤花の宴があげられるのではないでしょうか。
光源氏が20歳くらいの若さあふれるとき。
現代にたとえると、全員、燕尾服で出席しなければならないような、かしこまったパーティーで、
ひとり、派手なデザイナーズブランドのスーツを、ちょっと着崩した感じで出席したような
描写があります。

フツーの男なら、「礼儀知らず」とたたかれるような場所でも、光源氏なら、
それが許されてしまうくらい美しかった、という場面です。

そんな光源氏、40近くになっても、やっぱりそのスタイルで通そうとしています。
若い頃、身分ではライバルだったけど、容貌では大きな格差があった頭中将が、
年齢なりに貫禄をつけていたのに対し、
光源氏は、いまだ「イケてる若者」を狙ったスタイルをして、
ちょっとイタくみえるね、と紫式部にも皮肉られています。

この本では、そんな場面を切り取りながら、「イケてた人ほど、“イタい人”になる」のは、
現代にも共通するよね、と分析しています。

いやはや。
若作りといえば、わたくしなども、職業柄(?)1歳でも若く見せたいというのが、
根強―――い願望としてあるんですわ。
40半ばを過ぎた頃から、しみやシワは、とうぜん激増してきます。
そんな“現実”と格闘するのは、途方もない費用と時間を要しますので、
手っ取り早いのが、「映り方」なんですわ。
カメラ映りは、ライティング。これが一番。
しみ・シワを映らなくするために、顔の下から、ライトをがんがんに当てて、
顔面の色を飛ばす(つまり、ハレーションを起こさせる)というのがいちばんなんですね。

ときどき言われます。
「永野さんって、なんか真っ白に映ってるんですよね。
となりの和気さんが、薄暗く見えるんですけど。」
すみません。
和気くんの分のライト、こっそりわたしに向けて当ててました。