寝苦しさで目をさました朝、新聞を開くたびに、どろりとした澱が、胸を覆う。
大阪で起きた、2児の虐待放置事件だ。

放置した母親は、人間失格として切り捨てられても当然として、
彼女のまわりの人たちは、なぜ何もしなかったのか。

手のかかる乳幼児2人抱えて、シングルマザーで生きていくのは並大抵なことではない。
わが子がどうしているのか、大丈夫なのか。
別れた夫は、気にかけることもなかったのか。

「娘とは音信不通だった」という教育者の父親は、自分の娘が、責任感を持って子育てをする人間に成長していたのかどうかくらいわかっていただろう。

息子の別れた嫁とはいえ、離婚原因となった怠惰な生活のなかで、自分の孫がちゃんと養育されていないくらい、想像はついただろう。

あくまで、報道の範囲でしかわからないが、
その母親が、「まともに子どもの世話をする人間」ではないと、周囲の人間はわかっていたはずだ。

母親が嘘を重ねていたとしても、ある「違和感」は感じ取っていたはずだ。

しかし、その「違和感」について、知らんぷりを決め込む。
なぜなら、”めんどくさいこと“に巻き込まれるのが厭だから。

2人は、母親と父親そして祖父母ら、肉親たちに殺されたも同じだと思う。

きのうの記事に、母親は、「2人は私のことを恨んでいると思う」と語ったと書いてあった。

3歳や1歳が、「恨む」なんて感情を持つはずもない。
そんな感情は、人をだましたり、傷つけたり、嘘を重ねてきたオトナが持つものだ。

ただ、ママが大好き。
たとえ、どんなに怒鳴られても殴られても、ひたすらママを追いかける。
ママに抱っこしてもらいたい。

空腹で動けなくなっても、ほんの少しの物音で、「ママが帰ってきてくれた」と、期待に心を躍らせていたかもしれない。

命が消えゆく中で、ただひたすらに、ママのあたたかい胸だけを待っていたかと思うと、あまりにも切なすぎる。