3歳の女の子が死亡し、体にはあざなど虐待らしき跡があった、というニュースが出ていた。
先週は、2歳の男の子をごみ箱で、ごみのように殺した父親に対する裁判員裁判の判決が出た。先月には、「食べるのが遅い」と継父と実母から、正座のまま繰り返し殴られ殺された7歳の男の子の事件があった。

虐待のニュースが毎日毎日繰り返し報道される。
このようなニュースに触れるたびに、心が締め付けられる思いがする。

この子たちは、虐待されるために生まれてきたんじゃない。

「しつけ」だ言い張る、拷問のような継父の暴力をそばで見ていた実の母親。
その暴力は、次はあんたに向けられるんだよ。

「何かあれば、周囲に相談してくれる思っていた」と語った、小学校の校長。
子どもは、親にどんな目に遭わされても、親から離れないし、親をかばうし、追いかけるものなんだよ。そんなこともわからないで、教育者の資格なし。

オーブンや洗濯機に入れられ、最後はごみのように捨てられたあげく、懲役11年。
こんなものでいいのか?わたしが裁判員だったら、「亡くなった子供と、同じ目に遭わせてやれ!」と叫ぶ。

「虐待する親だって、何らかのストレスがあるんだ、そんな社会が悪いんだ」という論調も必ず出てくる。申し訳ないけど、わたしはそんな神さまのような博愛は持てない。
虐待する親が絶対に悪い。

一番好きで、一番愛してほしい人に壮絶な暴力をふるわれ、どんな恐怖と絶望のなかで命を落としたのか。

自分がした虐待と、同じ目に遭う刑罰が創設されるべきだ、と思う。

今月から、児童虐待などの情報通報にも報奨金が支払われるようになった。
今の時代だ。友人と組んで報奨金をだまし取ろうとする、馬鹿親もでてくるかも知れない。
でも、命をなくす子どもが1人でも減るためには、どんな手でも使うべきだと思う。

どうすれば子どもを虐待から守れるか、虐待をした親にどんな刑罰を与えてやろうか、そんなことばかり考えてしまって、きょうも一日過ぎてしまった。

虐待ニュースのある日は、仕事もなかなか手に付かず、厭だ。