あけましておめでとうございます。
いい年をお迎えでしょうか。

わが家では、タコ松の嘔吐下痢からはじまり、治ったと思ったらわたしに感染、それが治ったら、またタコ松に感染と、親子でウィルスのキャッチボールをしているうちに年が明けてしまいました。

「子どもが生まれたら、”退屈“という文字がなくなるよー」と永江アナにいわれた通り、退屈どころか、自分のために時間を使うことが出来ません。
たとえば仕事柄、季節ごとに新しい洋服は必要になるのですが、子どもが生まれてからは、休日に自分の服を買いに行ったりする時間は全く持てませんでした。ネットや通販で買おうとしましたが、通販のカタログをめくる時間さえもありませんでした。
わたしの洋服ダンスの中はまだ夏のままなので、寒くなるたびに、押入れの奥からセーターをひっぱりだして、なんとかしのいでいます(はやく入れ替えしろよ)。

年末に、一通の封筒が届きました。
秋に受けた検診の結果です。

2年前、わたしは初めて、乳がんを調べるマンモグラフィーの検査を受けました。
おっぱいを2枚の板に挟んでレントゲン撮影しますが、超胸肉貧のわたしの場合、職員2人がかりで周辺の肉を集めて板に押し込み、なんとか撮影にこぎつけるという、ちょっと屈辱的な体験でした。

数日後に届いた検査の結果は、「要精密検査」。
ガン専門病院への紹介状が同封されていました。

目の前が真っ暗になりました。
わたしはガンなの?これからどうなるの?
一番最初にしたことは、保険や貯金の整理でした。
最悪の事態を想定し、わたしの「始末」をする人に、迷惑を掛けたらいけないと思ったからです。
でも本当は、そんなことでもしないと、気を確かに保つことができなかったからでしょう。

そして専門病院での再検査。
わたしはひたすら大掃除をし、いろんなものを捨てました。
わたしがいなくなっても、仕事だって会社だっていつものようにまわっていくだろう。
家族だって、いつか、わたしがいないことに慣れてゆくはず。
もし、命の限りを告げられても、キレイに受け入れよう・・・そんなことを考えながら。

数日後、病院で結果を聞きました。
ちいさな石灰化(ガンの卵のようなものらしい)は見られますが、この程度では大丈夫でしょう。6ヶ月、病変がなければ心配要りません。とのことでした。

それから半年。
わたしは妊娠し、再検査を受けることもできず(妊婦はダメなので)、胸に小さな爆弾を抱えながら、タコ松を授かりました。

はじめてタコ松におっぱいを含ませたとき、涙が出ました。
これまでいっぱい詰め物をして、隠しつづけた小さなおっぱいだけど、タコ松は、せいいっぱい必要としてくれました。
このうえない幸せを感じながらも、せめてあと半年、小さな爆弾が暴れださないことを願っていました。

そして昨秋、2年ぶりにうけたマンモグラフィー。
年末に届いた検査結果は「異常なし」―。

2年前には、どうせいつかみんな死ぬんだ、1人なら、そっと死ぬこともできるだろう、思っていました。
でもタコ松がいる今、わたしは、やっぱり生きたい。
タコ松の笑顔も泣き顔ももっともっとみたい。

今年も、タコ松はいっぱい病気をして、いっぱいぐずって、いっぱい寝不足にしてくれるでしょう。
でも、それって、ほんとに幸せなことなんだと、今だから思えるのです。

追伸
当時は気が動転し、「死」を意識してしまいましたが、乳がんは、早期発見で治る病気ですし、もちろん医療技術も向上しています。ただ、「がん」にかかわることが自分の身にふりかかったとき、人は「生と死」について考えてしまうものだと実感しました。