先週金曜日のCh4終了後、はたと思いつき、ばーさんとぽんきちと3人で、
週末に、島根県の石見銀山に行ってきました。
中世、世界に流通する銀の3分の1近くを生産していたという世界遺産です。

当時の面影を残すという鉱山町の大森地区。
山の中にたたずむ、情緒ある風景です。

景観を尊重するために、自動販売機もこんな木枠が。

坂道のため、電動付自転車での移動がお奨めとのことで、レンタサイクルを。
街並みを突っ切って、メインとなる、銀を採掘した坑道に向かいます。

なんか、中山町あたりでよく見かけるような、山村の風景です。

念願の・・・メインとなる坑道「龍源寺間歩(まぶ)」。

2007年に世界遺産に登録されてから、ぜひぜひぜひ行ってみたかった石見銀山。
地図では近く見える、松山~島根県ですが、ネットの経路検索でドライブ時間を調べると、
5~6時間。だからなかなか思い切れなかったのよね。

土曜の朝5時半に松山を出発。
しまなみ~山陽自動車道~中国&浜田自動車道
お昼前には、石見銀山に到着!意外と早く着きました。
あこがれ続けた石見銀山でした。

自転車で15分ほど山道を走り、たどり着いたのが、
坑道として唯一公開されている「龍源寺間歩」。※間歩(まぶ)…坑道のこと
江戸時代やら明治時代に、銀を採掘するために掘られた穴ですが。

いやー、シンプル。
すっごいシンプル。
説明書きなどはほとんどありません。

たとえば愛媛の別子銅山には、当時の姿をした工夫(こうふ)の蝋人形などがあったと
思うのですが、そんなエンターテイメント的なものは皆無。

後ろを進んでいたカップルは、坑道の天井を見て「ノミで彫ったあとなんだねー」と
感心したりしていましたが、当然、歴史のれの字もわからん5歳児には、
タダのアナとしか思えないようで、ものすごい勢いでずんずん進んでいく。

そういえば、立ち寄った世界遺産センターで、係員がしきりに、
「石見銀山は、歴史や、銀山のなりたち、街のつくりなど、しっかりと、しっかりと、
ここで前勉強してから行かれてくださいねーー」と言っていたわ。

つまり、現地には、当時の様子のレプリカとか、丁寧な説明や、復元された施設などは
ほとんどなく、「昔はこうだったんだー」と、自分で想像してね!という場所だったのですね。

石積みを見て「ここには当時、最先端の精錬所があったのね」とか、
ほら穴をみて、「ここは昔、工夫が手でノミを叩きながら、掘り進んでいったのね」とか、
山肌に散在する、タヌキ穴みたいなものを見ても「ここにも鉱脈があったのね」などと、
前勉強をもとに、頭の中で、当時の姿を思い浮かべて、想像する力が求められているのね。

だから、前勉強なしで行ってしまうと、ただの石積み、草が生えてる原っぱ、
うちの近所にもある田舎道、にしか思えなかったりするところなのです。

よかった。
係員のアドバイス通り、世界遺産センターでちょっと説明書き読んどいて。

↑こういう銀鉱石を掘っていたそうですが、そりゃ、ウチの5歳児にはねぇ

世界遺産といっても、宮島の厳島神社みたいなわかりやすい建物・シンボルはありません。
「自然破壊がつきものの、鉱物採取にもかかわらず、自然を壊さず、自然を守りながら、
世界有数の銀の生産を行った。自然との共存をめざす21世紀にぴったりの産業遺産」
とのことで、世界遺産になったわけですね。

そう。
未来型産業が、日本の中世の片田舎にあったという、スゴさに思いを馳せましょう。

それにしても、派手さはなく、ぱっと見、フツーの山にしか見えない銀山を、
「世界遺産登録」におしあげた、その「プレゼン力」に、
なによりも感心した思いつき旅でした。

よかったですよ。

で、翌日は、三瓶山周辺で、秘湯を見つけました。

山道にひっそりとあった、三瓶温泉の湯元旅館。
源泉に最も近いお湯ということで…
ひなびた旅館の、浴室の入り口には「泥湯」とありました。

オレンジ色は、鉄分だそうです。
泥湯というだけあって、まさにポタージュスープに浸かっている感覚です。

ふろ上がり、ぽんきちの頭が金色になっていました。