お父さんゾウが、ある日突然、神様に、「亡くなる日」を宣告されて、残された日々を家族とともに生きるというショートアニメ、「象の背中 旅立ちの日」。
数年前、アニメを見るたび、あの曲が流れるたび、何度も涙を流したなあ。

先日、それに並ぶくらい、涙鼻水モノのアニメを見てしまいました。

わたしは毎週日曜日、南海放送ラジオで15:45~放送中の「社長のミカタ」を担当しているのですが、次回のゲスト、今治の「七福タオル」の河北社長から見せていただいたWeb用CM。

タオルストーリー(父と娘編)

(ユーチューブにアップされています)

打ち合わせ中にこのアニメを見て、ぐじょぐじょになってしまいました・・・。

私の場合、アタマの切り替えがなかなかできないので、そのぐじょぐじょ状態のまま、本番収録になってしまいました(悲)。

で、ストーリーは、父と娘の父子家庭が舞台です。
赤ちゃんの娘を抱くパパ、幼児になり、自分にはママがいないことを悲しむ娘、成長して父親に反抗する娘、いつしか疎遠になり、恋人ができて結婚、子どもが生まれて家族で父に会いに来る娘・・・。
コレを書いているときも、すでに、ぐじょぐじょに・・・すいません。幼稚園児並みの文章で。ほんとはとっても素敵なストーリーです。
なぜ父子家庭なのか、その理由が次のバージョンでアップされるそうです。
また涙鼻水モノだろうな。


絶望の国の幸福な若者たち 古市憲寿 講談社 1890円

26歳の社会学者による若者論です。
最近の若者はケシカラン、という言葉は、いつの時代もついてきます。
わたしが社会人になった頃は、「新人類」と呼ばれ、わけのわからん人種だと、異種扱いされました。「態度がでかい」「言葉遣いがなってない」「お茶も入れん」など、たくさんの忠告もいただきました。

わたしたちだけかなと思いきや、次の新人も、その次の新人も「最近のわかものは・・・」と、時のおじさんおばさんたちが、口々に批評します。
こうして終わらない若者論のことを、著者は「大人の自分探し」だといいます。
「自分が年をとって、世の中に追いついていけなくなっただけなのに、それを世代の変化や時代の変化と勘違いしてしまう」―。
いまの若者はけしからん、というとき、それを発言する人は、「自分は、けしからん若者とは違う、まっとうな人間なんだ」と確認したいだけであり、それは、もう若者でなくなった中高齢者にとっての、自己肯定であり、自分探しである、といいます。

これは、ヤラレタ。
わたし自身も、さいきんの若者は覇気がない!とか、欲がない!とか口角泡飛ばして議論してたりしましたが、「さいきんの若者」を、「異質」扱いすることで、時流についていけない自分を棚に上げて、自己肯定をしようとしたのですね。反省です。

そして、この本のタイトルでもある「幸福な若者たち」。
いま、年金・医療などの社会保障の世代間格差をよく耳にします。
いまの60歳代以上は、これまで払ってきた保険料や税金より、年金などでもらえる額が6500万円「得」するけど、いまの20歳未満は、これから払わなけらばならない保険料や税金より、年金などでもらえる額は5200万円分「損」となる、つまり、孫世代は、祖父世代より、1億円損をする―。
これだけの世代間の金銭格差があって、若者はかわいそうだ、おまけに就職難だし、ワーキングプアや、非正規雇用。高齢者に比べても、若者はあまりにも不幸だ、なんとかしなければ、という議論がよくなされています。
しかし、「かわいそう」なはずの若者、近年の世論調査によれば、自分たちのことを、「幸せだ」と感じている人の割合が多いのです。
なんと、今の20代の7割は、「現在の生活に満足」しているのです。
この、「今の生活に満足」度、頑張ればなんでも手に入れられた高度経済成長期の20歳代よりも、新人類が闊歩していた80年代の20歳代よりも、バブルがはじけた時代の20歳代よりも、どの時代の20歳代よりも「いまの」20歳代が高いのです。

そして、「いまの若者は不幸だ」と哀れんでいる、今の40歳台から50歳台の中年のほうが、「生活の満足度」は低いのです。

いろんな理由があると思いますが、今の時代は、たとえ手にしているお金が少なくても、スマホさえあれば、いろんな人や情報とつながって、あらゆるアトラクションが楽しめるし、少しのお金を出せば、お店で美味しいものも食べられる。
じゃあ、わたしたちが10代だった頃は?
情報を得るには、書店に行って高い本を買ったり、図書館で調べなければ欲しい情報にたどり着けなかったり、友人に電話するにも、市外だととびきりの割高料金になったり、外食なんて、子どもだけでなんて、まず、いける場所ではなかったし。
つまり、社会インフラが整っているという意味では、昔に比べて、ちっとも不幸じゃない。現代のほうが豊かです。

そして、この本では、その「幸せの正体」とは何なのか、書いてあります。
人はどんなときに「今は不幸」「今は幸せ」と感じるのか。

実は、「今は不幸(満足していない)」と答えるのは、「今は不幸だけど、将来はより幸せになれるだろう」と考えることができるとき、だそうです。
将来の可能性や、これからの人生に希望がある人にとって、「今は満足できないけど、もっとすばらしい将来が待っているはず」と考えるのです。
逆に言えば、もう自分がこれ以上幸せになると思えないときに、人は「今の生活が幸せだ」と感じるのだそうです。
つまり、人は、もはや将来に希望を描けないときに「今の幸せが満足」と答えるのだそう。
だから一般的に、もう将来がそう長くない高齢者も、今の生活への「満足度」が高いのだそうです。
高度成長やバブルのとき「今の生活に満足できない」と答えた人が多かったのは、「まだまだよくなっていく」という希望が持てたからなのです

「今の生活が幸せです」と答える今の若者には、実は、「絶望」がセットになっていたのですね。

翻って、
高度経済成長期やバブルの時代を体験した、いつになっても満足度の低いわたしたち世代。
逆にいうと、「満足」を手にしてしまっちゃ、いけないんです。
泳がなければ死んでしまうマグロのように、満足を求めて頑張り続けなければ、“死んだも同然”と思ってしまうのが悲しいサガです。

あの時代はもう2度と来ることはないし、安定した老後なんてもう手に入るはずはないとは、ぼんやりわかっているけど、幻想を抱きながら、死ぬまで頑張り続けられれば、「幸せ」なんだろうな。