明日から24時間テレビです。

子供を、自転車の前と後ろに乗せて、
汗だくでフリマに駆けつけ、たくさん買ってくれたあと、
「少ないですけど1年間家族で貯めました」と、にっこり募金箱を手渡してくれたお母さん。

恥ずかしそうに、募金箱を差し出す小学生くらいの男の子。
「お小遣いを少しづつ入れたみたいだから、1円とか5円ばっかりですけど…」と
赤ちゃんを抱いて微笑むお父さん。

これ…と言葉少なに、缶の募金箱を渡してくれた車いすの青年。

毎年、ほんとうに、あたたかい気持ちにさせていただきます。

買いたいおもちゃをちょっと我慢して、少ないお小遣いの中から、募金箱に10円玉を入れてくれてるんだろうな。
それが大事なことって、子どもに伝えているお父さんお母さんは、とてもすばらしいと思います。

いっぱいお金がある人がいっぱい募金すればいいじゃん―。
「募金をお願いします」っていうと、そんな陰口をたたく人も、必ずいる。

でも、高級車で会場に乗り付け、高級ブランドに身を包み、札束の詰まった財布から、数枚を取り出し募金箱へ・・・なんて人は、入社以来、1回も見たことがありません。(そもそも会場には自家用車では来れませんが)

決して自分たちだって楽ではないのに、さらに困っている人たちのために、なんとかしようという行動、頭が下がります。

数年前の、テレビ中継を思い出します。

ある団体が、窓口やイベントで集めてくれた募金箱を、私たちが受け取るというシーンでした。
私が募金箱を受け取ったと同時に、2人組の若者が、私たちの後ろにやってきました。
そして突然、「偽善、偽善、わたしたちは偽善でーす」と叫び始めたのです。

大勢の来場者がいる中、フロアディレクターは、次のゲストの準備で横を向いた一瞬でした。
とてつもない怒りがこみ上げましたが、私は、彼らに背を向けて、中継をすすめました。

どこかで飲酒をしたのか、ちょっと赤い顔をした2人組。
ぎ〜ぜ〜ん〜と叫びながらカメラに向かって手を振ろうとします。

私はとっさに、彼らがカメラに映り込まないような確度に移動し、短い時間の中継は終わりました。

マイクを置くと同時に、私は、そのまま若者に近付き、
「なんでそんなことをするの?」「わざわざカメラの前でそんなことをするのは、どういう意味?」
大きな声で、詰め寄りました。

まわりにいたスタッフは、わたしの勢いに、凍りついています。
若者は、ぽかんとした表情のまま、人ごみの中に消えていきました。

せめてもの救いは、指向性の強いマイクだったので、ガキどもの声は、マイクには、雑音程度にしか入っていなかったこと。(マイクには、周囲の声を広く拾う種類のものと、マイクを向けた方向の音を中心に拾う、(指向性の強い)タイプの種類がある)

悔しくて悔しくて、当時の上司、永江部長にこの出来事を、泣きながら訴えました。

永江さんはこう言いました。

「困っている人たちのために何かをしたい、と思っていても、募金や寄付という行為を“お金でなんとかしようとする”という発想のように感じて、偽善じゃないのか?と心の中で葛藤している人は、確かにいると思う。
募金箱にお金を入れたいけど、今、ここでお金を入れると、偽善ぶって…って思われないかと自問している人も、いると思う。
でもね、これだけは言える。
もし誰かに、その行為が、偽善と言われたとしても、差し出してくれたこのお金は、確実に、“誰かのために役立っている”ということ。わたしは、そのように伝えている」ー。

あなたが入れた100円は、「確実に、誰かに感謝されている」、という揺るぎのない事実。

あの震災があってから…
今でこそ、募金箱を見かけたら、ごくごく自然に、お釣りなどを入れるようになっていると思います。
自分より困っている人のために、なんとか力になりたい、と、みんな思っています。

募金という形で託してくれたみなさんのお気持ちを、わたしたちは、確実に先方にお届けします。

←タコ松に見つからないよう、こっそりと持ち出した電子オルガン(おさがり)。フリマに出品しまーす!(21日11:00〜です)