「子どもを持つなら若いうちに」

昔なら、こんなことを言われたものなら、「ケッ」と感じたものですが、年々…特に夏になると「その通りでございましたーー」と思ってしまいます。
世の中、まもなく夏休みに突入しますね。
幼稚園も夏休み。
とーちゃんやかーちゃんの日常は変わらんのに、なんで子どもだけが休みなんや!
それも、あっちいきたい、こっち連れて行け、だの、年々体力と知恵をつけてきて、要求も増えてくる。
しょうがないから、週末は、プールに行ったりショッピングセンターに行ったりしてるけどさ、手持ちゴマも尽きてくるし。
ただでさえ体力が落ちているアラフィフ。
加えてこの暑さ。
あーーー。あしたはどこ行こうか。
早く秋になってくれ。

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というわけで、ウィークデーも週末も、ただでさえ鍛えてない体力を消耗し、寝床に入っての読書タイムも、ほとんどなくなっている今日この頃。
手にしたのは、かるーく読めそうなこの本


「だてマスク」依存症 菊本裕三  扶桑社新書 798円

あるある、わたしもやったことありますよ、「だてマスク」。
外出するとき、化粧するのもめんどくさい、ちょうど花粉症の時期だし、マスクつけときゃ、すっぴんだって寝起きのぼってり顔だってごまかせるわ、ラッキー!って。
この経験、けっこう女性は多いのでは。

こういう使い方は、「一時的」に、その機能を利用しているだけなので、ある意味健康的。
でも問題なのは、病気でもないのに、一人になる時間以外は、一日中つけてしまっている人。
マスクをすると、「自分の表情を悟られない。他人の視線から避けられる。自分の存在を隠すことができて、安心できる」―。
つまり、他人と距離を取っても、孤独になってもいいから、「本当の自分を守りたい」という意識があるというのです。

わたしたちは年を取るにつれて、不愉快なことも悲しいこともいっぱい出てくるけど、「ほほえみ」のように、「何事もなかったような」表情を作ることを覚えてきます。
でも、「だてマスク」に頼らざるを得ない、というのは、心が壊れてしまいそうなほど、追い詰められた状態にあるんだということを、周囲が気に留めておくことが必要だとわかりました。

それにしても、わたしがわざわざ遠くのプールに行こうとするのは、ご近所だと、知り合いに「おばはんデブ」がバレるのが厭だから。
全身を、きゅーっと、ぎゅーぎゅーっと絞って見せてくれるような「だて水着」を発明してくれたら、1年中着とくわよ。