やってしまった、「深夜カレー」。
タコ松を寝かしつけていて、そのまま寝てしまい、目覚めたのが午前0時。
夕飯を食べてなかったので、おなかは空いてる。
でも、こんな時間に食べてしまったら、そのまま肉腹巻きになる、というのはよくわかっている。
あと10歳若けりゃ、ダイエットのために、迷わず食べないほうを選ぶけど、カラダもキモチもユルくなってしまったアラフィフは、食欲には勝てません。
一口だけ…と思って食べたカレー。日曜日につくって冷蔵庫に入れてたものだけど、これがまた、よくこなれてきて、うまいのなんの。
気がつけば、軽くどんぶり1杯分のご飯を平らげてました。
ダイエットのために、「睡眠3時間前からは、食べちゃダメ」なので、あと3時間は起きてっかなーと、読みかけの本を、突破することにしました。
「TOKYOオリンピック物語」 野地秩嘉 小学館 1890円
1964年の東京オリンピック。
わたしが生まれたのは、この年です。当然、記憶なんてないけれど、東海道新幹線が開業したり、東京オリンピックが開催された1964年というのは、なにかとネタに上がることが多く、自分の生まれ年に、ちょっぴり優越感のようなものがありました。
この本の主役は、記録を打ち立てた選手たちではなく、公式ポスターを手がけたグラフィックデザイナー、選手村の料理人、民間警備会社、記録映画の監督、記録のリアルタイムシステムを作ったエンジニアなど、オリンピックを陰で支えた人たちです。
「リアルタイムで競技の結果を集計するコンピューターシステム」とか、「冷凍食品の高度な技術」とか、「ファミリーレストランのような、大量調理とサービスのシステム」とか、「民間の警備会社」など、今ではあたりまえのシステムとして、わたしたちが利用しているサービス・技術は、実は、このオリンピックがきっかけとなって誕生したものなのだそうです。
先は見えないけど、何かが生まれると信じて挑戦した人たち。でもその多くが、見返りを求めず、無報酬に近い形で携わっていたそうです。「お国のためだから」と、喜んで働いていたと。
敗戦の傷を抱えながら、「誇りを取り戻す」ために、みんなが何かにむかって突き進んだ時代だったのでしょう。
もちろん、自然が壊され、みんなの顔が画一化されていった時代の始まりでもあったのですが…。
この本が発行されたのは、今年2月。
そういえば、今月公開される、ジブリの映画「コクリコ坂から」の舞台は、1963年の設定だそう。
両作品とも、震災の前に企画されたものですが、共通しているのは「貧しかったけど、希望があった時代」が舞台だということ。
今、求められている時代のマインドなのでしょうか。
2011/07/01 金曜日 at 22:02:11
私の少年時代の昭和40年代の日本は高度成長期真っ只中で目にする物全てが 斬新でした
2011/07/01 金曜日 at 23:00:31
私の少年時代の昭和40年代の日本は高度成長期真っ只中で目にする物全てが 斬新で特にお湯をかけて 3分で食べられるカップヌードルの出現は子供でも手軽食べれるので重宝しましたあれから何十年の時が流れ 今現在は長期に渡る景気低迷に追い討ちをかける東日本の大震災と原子力発電所の放射能汚染で今の日本は本当に疲れきっていますが今までもが そう出逢ったように 必ずや不死鳥のごとく 蘇ると思います。
2011/07/02 土曜日 at 00:01:40
歴史の授業で東京オリンピックが行われた頃いろいろな進歩があったと習いました。
自分の仕事でも、上司から『とりあえずやれ』と言われた、初めての仕事をこなした後はいろいろなことができるようになった気がします。
オリンピック自体なんなのかわからないなりにみんな必死で、できるかどうかわからないけれど百パーセントで生きていた時代だったのですね。
なにかをやるときにとりあえず『Google』の私にはない『人間力』を感じます。
上司に『さわりだけでも教えてくださいよ』と言う癖はやめなくちゃ。
2011/07/02 土曜日 at 11:16:07
影ママ 「やってしまいましたかー、深夜カレー」ピカちゃまと一緒に晩御飯食べずに、寝てしまったんですねー 夜中でも”お腹すいたー”・・まだ食欲が有りますやんか・・でも、要注意ですよ。
家の奥さんなんかは、夜中お腹すいたと思ったときは、お茶でお腹を満たすそうです・・これこそ、お茶でなんとかですな・・
ついに、影ママがこの世に飛び出してきた年の話が出ましたね。
ポンじいは、その時すでに東京・代々木の選手村で、警備の仕事に就いていました。車で選手村の中をパトロールって仕事でした。
各国の当時の有名な選手達とも、片言のイングリッシュで(オリンピックは英語が共通語ですから)
既に亡くなった、マラソンのアベベ選手・円谷選手 今でもコマーシャルなどで活躍で、愛媛マラソンにも走られた君原選手など、選手村の中のトレーニンググランドで、お話など出来ました。
フランスの女子水泳選手でキャロン選手は綺麗でしたね、車に乗せろって選手村内を一周なんてことも・・
あの「戦後初の東京オリンピック」は、あれをきっかけに日本は発展しましたね。新幹線・高速道路など・・
あの選手村の事務総長だったと思いますが、村井順さんは、初の警備会社・綜合警備保障株式会社を設立した方です。
ポンじいは、出身が山梨県ということで、地理にも詳しいだろうと言う事で選ばれたんですが・・当時の日本バレーボールチーム「ニチボー貝塚」のキャプテン・河西さんも同じ山梨県出身と言う事で話も大分盛り上がりました。そのチームの一員と、もう少しで「お付き合い関係」にはまりそうにもなりましたが・・
今回はこれまで お後が宜しいようで・・
2011/07/02 土曜日 at 23:41:47
自分と同い年に有名な人が居たり、生まれた年に特別な愛でたい事があったりしたら何となく良い気分なのは分かります。山口百恵さんと同い年なんですよねえ。いいでしょ。ふー、さて貧しかったけど希望があった時代の話しですが、私など高校まで家に寝たきりの祖母が居り、高校もよく行かせてくれたなあと思い、その頃は春には山を這い回りワラビを採って売り、そのお金でギターを買いました。昭和51年でしたでしょうか、高校2年だったはずです。1万円でした。嬉しかったですねえ。希望ですか?その時は希望も夢もなかったように思います。ただただ自分でやったんだとゆう事が嬉しかったです。子供の時貧乏だったんで金には執着はあまりないし、今でも当時と同じで自分で考えてささやかながらも考えた事が実現できた時に一番充実感がありますねえ。永野さんなら、タコ松くんの寝姿をぎゅうっと抱きしめてあげる事が一番の充実した時間になるんですかねえ。希望と充実感?明日と今。充実感の積み重ねが希望?難しいです。宿題にしておきます。
2011/07/03 日曜日 at 08:55:59
朝になりました。さえた頭で宿題考えました。若い時の自分を思い返しながら。結果充実感のある生活をしていた時に持っていたのは希望でなくて夢だったように思いました。あの頃は私も若かったし日本全体の平均年齢も若かった。私が就職した会社の平均年齢も確か24歳だったと記憶しています。あの頃みんな希望なんてあったんでしょうか?後から年をとって思うフレーズで、私なら、「忙しくって何も考えれなかった時代」と銘打ちますね。ただ国家は今のようにばたばたせず、安定感はありましたね。本当の政治家が多かったんだと思いますね。今の大部分の政治家の方々はサラリーマンに見えますね。以上です。タコ松さんによろしくお伝えください。
2011/07/03 日曜日 at 10:18:47
永野さん、はじめまして!
今治に生息しております”93kgのプッコラ”と申します。このブログには初コメになります。
僕は丁度1963年生まれですので、同世代になりますかね〜?
僕も最近の仕事で思う事ですが、今の時代”ガムシャラに事に打ち込む”とか”何かを犠牲にしてでも馬鹿になれる”という、日本人人のひた向きさが、無くなりつつある様に思います。
『しんどい事は誰かがやってくれるだろう?』という、無気力感っていうか、利己主義っていうか?・・・
もっと皆で、そして自分がツラくても、一緒に良い方向へ進んで行こうという、チームワークが希薄になっていて、少し淋しい気がします!
2011/07/04 月曜日 at 12:47:49
永野さん、影子ブログへ2回目のコメントのエグイサルと申します
本日の村井宮城県知事と松本復興担当大臣の会話をどのように思われましたか?
私には先生と生徒? 上司と部下?
残念ながらこのようにしか映りませんでした
「君は私を誰だと思ってるんだね」天下の権力者、大臣様ですよ
といわんばかりのあの態度・・・
まさに政治家の本音とタテマエの本音の部分が出た瞬間でした
他の政治家のセンセイ達も少なからずああいったオオヘイな態度の人が多いとは思ってましたが、実際にテレビの映像で見るとやはり
ショッキングでした(悲)
これが現実なんですね(泣)
永野さ〜〜〜ん、松本センセイに渇を入れてやってください。
2011/07/04 月曜日 at 17:24:36
「コクリコ坂から」の時代設定は1963年でしたか・・・
実はこの年は、私の生まれた年です。
この年の大きな出来事といえば、「ケネディ大統領暗殺事件」です(今、某局でケネディをテーマにした連ドラが放送中ですが)。
日本人は、良きにつけ悪しきにつけ「一致団結」するところがありますよね。とかく他人や流行、メディアに流されやすかったり・・・。
それが良い事の方に向かっていたのが「東京オリンピック」の時代で、悪い方が「太平洋戦争」の時代になるのでしょうか。
今は「節電」が国内の大きな流れとなっていますが、昭和40年代の生活を覚えている私達世代が、あの頃の良い面をどんどん後世に伝えていく・・・そんな時期が来たのかなあと思います。
ところで「朝カレー」ならぬ「深夜カレー」、いいですね!
さすがの私も最近食欲がないので、レトルトカレーで試してみようかな?
2011/07/05 火曜日 at 17:47:57
今、某国営放送の朝ドラも戦前から戦後の時代背景の中での話し!主人公は、語りとして年をかさね現代から見つめています。
日本がどん底からの復興!歴史が語っています。
阪神淡路大震災などは、復興を現実見ています。
この時期に、映画、テレビドラマ、音楽、書籍、数年前からの歴史ブーム。
今、私は思います。
「日本人!!何してんの…。日本を、日本人が駄目にするな…。」
「日本人たる者、日本をしっかり建てよ」
「一致団結、皆、日本人」
どうあれ、自分が…。と言ってるときでないよ〜!
大臣?首相?なんのこっちゃないですね〜!
ちっちゃな呟き。ちっちゃな力。 ちっちゃな協力が強力に…。
息子達の時代、タコ松ちゃん達の時代そしてその後の時代どうなっていくのかな〜!