自慢じゃないが、高校時代、本当に勉強しなかった。
松田聖子全盛期で、聖子ちゃんカットでぶりぶり遊んでばかりいたため、成績は常に下位10%以内にいた。
そのせいかどうかわからないが、日本史、とくに近代史の知識が全くないのだ。

わたしが近代史の授業の時、寝ていたのかもしれないが、教科書も、戦国時代の分厚さに比べて、明治以降はほんとに数ページ、「とりあえず入れときましょ」程度のボリュームしかなかったと思う。
この本は、明治維新以降の日本の動きが、国際情勢の中での動きとともに紹介されていて、私にとって「すっぽりと抜け落ちた近代史」を、ざっくり学べる機会になった。

戦争・天皇・国家 近代化150年を問いなおす    猪瀬 直樹   田原 総一朗

猪瀬氏が近代史を語るときのひとつのキーワードが、「黒船レジーム」。
「戦後」ではなく「黒船」である。
ペリーが横須賀に現れ、鎖国をしていた日本に開国を要求してきた。
250年の太平の世だった日本が、弱肉強食の世界の中に投げ出された時を始点に、現代をたどってみよう、ということ。
そもそも日本は、黒船来航から、生存そのものを脅かされ「植民地になるかもしれない」「滅ぼされるかもしれない」という恐怖の中で生きてきた。

猪瀬氏は、興味深い史実を堀り起こしている。
「白船事件」といわれたもの。

『黒船来航から半世紀たったころ、白いペンキで塗ったアメリカ太平洋艦隊が16隻やってきた。
日本の連合艦隊の倍以上の陣容で、日本人は恐怖におののいた。
そこで、日本はアメリカににらまれないように、国を挙げて大友好キャンペーンを張った。
白船が入港した港には小学生が動員され、小旗を振って大歓迎。政財界は連日の歓迎行事、新聞までも「アメリカ万歳」といったヨイショ記事を載せていた』―。

巨大なアメリカ様のご機嫌を取らないと大変なことになる、と、きちんと国力の違いを分かっていた。
ジャイアンのような国に対しての、処世術ももっていた。
しかしその30年後、日本はほとんど勝ち目のない戦争を始めてしまった。
そして敗戦。

責任は負けた国が負うことになる。誰が悪いか。天皇か東條英機か。
GHQの主導で、新憲法で天皇が象徴になったことを理由に、天皇を不起訴とし、天皇家は残った。
そして天皇誕生日である4月29日に、東條英機以下28人のA級戦犯が起訴された。

これについて、〝ダ・ヴィンチ・コードばりの暗号が仕掛けられている″とした猪瀬氏は、こう指摘している。

『そこには「天皇の戦争責任は不問に付したけど代わりに東條を起訴したのだから忘れるな」というメッセージが暗に込められている。翌年の5月3日の憲法記念もそう。「東京裁判の開廷した日だから忘れるな」というメッセージ。その後、東條たちを処刑したのは12月23日。当時の皇太子、すなわち今生陛下の誕生日。』

天皇は、皇太子時代からずっと慰霊の旅を続けられ、大きなご病気をされたあとも、激戦地を精力的に回られている。
胸を締め付けられる思いがした。

日本を代表するジャーナリスト2人による歴史の検証は、とても読みごたえがあった。
教科書がこのくらい面白かったら、授業も寝なかったんだけど。