『ラジオの会』

In Categoryヒコヒコ日誌
By田中和彦

かつて僕が創ろうとして断念した明治時代・余土村(現・松山市余土地区)の盲目の村長「森盲天外」。

制作を断念したのは盲目をラジオでどう表現するか? アイデアがなかったからです。
そのままの文章表現では僕らしくないな、と思い・・。

今度、江刺アナがラジオドラマでこの森盲天外をやるそうです。

僕の3代前の社長だったDさんが2年前に「森盲天外」生誕150年の記念公演をされた原稿を読み直していたら、
凄いことを読み落としていました。

昭和23年。この余土地区にはラジオを聴いて明るい余土村を建設しよう!と
公民館活動の一環として「ラジオの会」があったという事を・・。
勿論当時はNHKラジオだけです。

ちなみにラジオ南海が昭和28年の開局。
送信所の用地がなくて困っていた時、助けてくれたのが森千代松という当時の余土村長さん。
「ラジオの会」が盛んだったところだから、ラジオについては愛があり、ここに民間放送ができるなら応援してやろうと
一緒に土地を探してくれたそうです。
そして市坪に決まりました。

なんて、いい話なんでしょう。

僕は松山東OBではありませんが「がんばっていきまっしょい!」と自分に気合を入れたいような朝。

江刺アナにこのことは話しておかないと・・・お節介かも(笑)。

※森盲天外(1864~1934)
  伊予郡西余戸村(現松山市)出身。本名は恒太郎。
  若くして県議会議員として活躍するが、両目を失明する。
  失意の中で、一粒の米を手にして心眼を開き比叡山で修行をした。
  その後、余土村村長に推され、模範村の盲目村長として名をあげた。
  晩年は青年教育のため道後に「天心園」を開き道後湯之町町長を務めた。
  失明から心眼を開くまでの事情を『一粒米』につづった。
  俳句をよくし、正岡子規に師事し「天外」の号を受けたが自らは「盲天外」と称した。

※南海放送ラジオ「森盲天外 ラジオドラマ・シンポジウム」
  4月16日(日)12:00~14:00放送