『たかが、ラジオ。されど…』

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By田中和彦

29日(日)13時から放送のラジオドラマ「赤シャツの逆襲2」の
最終編集(業界用語では完パケと言います)にこれから望みます。

制作スタッフ、4銃士。

赤シャツの逆襲スタッフ

ただ、スタート前に大事件が発覚…。
乗松ディレクター曰く。
「台詞の荒編したら、トータル時間が80分になってます」

えーっ?! 嘘っおぅ!?

音楽入れたりCM入れて59分枠だから、30分は削らないと…。30分ったら、それ、ひと番組分やん。
素人みたいに書きすぎたみたい…です。

プロデューサーの小倉部長が
「どっかワンブロック、台本を落としてください。なんとかなりますよね」と。

大昔。自民党の金丸信副総裁の言った名言を思い出しました。
“空の上のことなら兎も角。地上でなんとかならないものは、ない!”

そう、たかがラジオ。
なんとかならない事はない!
あの頃の政局よりは楽だろう…(笑)

の、…はず。だ、け、ど。

『キャロルの幻聴』

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By田中和彦

思えば、1972年に初上京しました。

入ったサークルWAK(早稲田大学アナウンス研究会)での最初の仕事は
一年間の部費を稼ぐ為のコンサートイベントでした。

場所は神田共立講堂。
かつてのフォークの殿堂です。

昨日、40年以上ぶりにその前に立ちました。

神田共立講堂

1972年は当時の担当者の英断で、出始めたばかりのキャロルと契約し、
フォークでなくロックコンサートになりました。
キャロルに火がついたばかりでしたから、チケットは苦もなく完売。

しかし、楽屋や会場が壊され(笑)、会館からきついクレームがきたのも忘れられない思い出です。
ギンギンに尖っていた矢沢永吉はまだ、駆け出しのロッカーで、
今のような大御所になるなんて思いませんでした。

建物の前に立つとあの日のエレキ音や女の子達の嬌声が聴こえてくるようでした。

「拓郎か、六文銭か、グレープにしたら良かった…」と、サークルの幹部たちが反省していましたっけ(笑)。

キャロルの幻聴。そして、神田共立講堂。

まだ、生きているんですね。

ほろ苦く…嬉しかったです。

「神田共立講堂」
1938年(昭和13年)3月落成。
1970年代には日本のフォークシンガーの聖地とされ、ここでは吉田拓郎、
かぐや姫、アリス、ガロといったアーティストがコンサートを開催した

『夢工場か?蟹工船か!?』

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By田中和彦

夜が更けてもラジオ現場は動いています。

入れ替わり立ち替わりキャストがやってくるラジオドラマ収録が今日から、一気に行われます。

ドラマ収録

一週間で収録して、一週間で完パケ。
昔の日活ロマンポルノがそんな制作スケジュールだったそうです。
(例がよくないか・・・笑)

他番組で居残っていた古茂田圭ディレクターと小林美菜ちゃん。そしてCha-kaをパチリ。
(みんなスッピンなんだけど、逃げないところがラジオ的です・・・笑)

古茂田・小林・Cha-ka

画面後ろの方には出番待ちの藤田勇次郎アナが真剣に下読みしています。ちなみに芸能リポーター役です。
彼への演出指示は、一言。「下品に・・・よろしく!!」

さて。

この会社は・・夢工場なのか? 蟹工船なのか?

ウォルト・ディズニーなのか? 小林多喜二なのか?

顔つきでご判断ください。

『赤シャツの逆襲。動き始める…』

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By田中和彦

いよいよラジオドラマの収録が始まりました。

トップバッターは原告側弁護人役・山本清文くん。
最近は、他局のテレビで活躍中ですが、田中ドラマのレギュラーメンバーの一人です。
二枚目の正義の役は、彼をおいて右に出る者はいません。顔も声も…二枚目。

赤シャツの逆襲収録

ちなみに、ふざけた関西弁の被告側弁護人は桝形浩人くん。
二人のコントラスト。舞台の上での演劇ような弁論合戦をお楽しみください。

赤シャツの子孫が漱石と「坊っちゃん」を名誉毀損で訴えるという法廷ドラマ。
果たしてこの赤シャツ訴訟。
どっちが勝つのか?!負けるのか?!

技術は「ソローキンの見た桜」「風の男 BUZAEMON」と、ずっと組んでるラッキーマン乗松D。
ディレクターは小倉D。

台本を書き上げた僕はもう気楽な傍観者です。

「赤シャツの逆襲 2 〜漱石はそれが我慢できない〜」

放送は5月29日(日)13時からです。12時からのシンポジウムを聞いとくともっと解りやすいと思います。

『私もあなたと泣いていい?』

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By田中和彦

コンビニで飲料水を補給して、さあドラマ台本仕上げるぞと、会社の裏口から入ろうとしたら、
自転車に乗った男性から・・「田中社長。こんにちわ」、と。

映画監督の大森研一さんでした。 監督、何してるの?
「いよいよ7月2日に映画が封切りですから、知り合いのとこや、喫茶店にポスターを配っているんです」

宇和島伊達400年記念映画『海すずめ』のこと。

http://umisuzume.com/

すでに汗だくの監督。
自転車の後部席のダンボールみたいな箱にはたくさんのまるまったポスターが・・。
頑張ろうね! と声をかけあって別れました。

ちょっぴり勇気が・・。世間がみんな遊んでいるわけじゃないんだ。
監督だって自転車に乗って自分でポスターを配っているんだ。

僕だって、日和(ひよ)る訳にはいかない。
モノづくりの魂とはそういうもの。

ふと、大昔の深夜放送時代の歌が蘇りました。孤独を共有する若者の歌。
兼田みえこの『私もあなたと泣いていい?』
・・・知らないだろうなあ。

兼田みえこ『私もあなたと泣いていい?』1969年リリース